ある朝、妻ちゃんがふと言いました。
「ベッドカバーと枕カバー、いつ頃洗ったっけ?」
たしかこのくらいだったと思うよ、と返すと、
妻ちゃんは少し考えてから、こう言いました。
「じゃあ、洗わんなん」
洗わんなん。
「洗わなきゃ」という意味で使った言葉です。
いつもの会話の中に出てきた、何気ない一言でした。
特別に重い空気があったわけでもなく、妻ちゃんがつらそうにしていたわけでもありません。
でも、その言葉が少しだけ心に引っかかりました。
「洗おう」ではなくて、
「洗わんなん」。
やっていることは、同じです。
ベッドカバーを洗う。
枕カバーを洗う。
暮らしを整える。
どれも、日々の生活の中では大切なことです。
清潔にしておきたいと思うのも、自然なことだと思います。
ただ、言葉の中にある重さは、少し違う気がしました。
「そろそろ洗おうか」
そう思うときには、少し余白があります。
時間があるときにやろう。
できたら気持ちいいね。
そろそろ整えたいね。
そんなやわらかさがあります。
でも、
「洗わなきゃ」
「洗わんなん」
と思うときには、少しだけ自分を急かす響きがあります。
まだできていない。
やらないといけない。
放っておいてはいけない。
そんな小さな圧のようなものが、言葉の中に混ざることがあります。
もちろん、妻ちゃんがそのとき本当にそう感じていたのかはわかりません。
僕が勝手に、そう受け取っただけかもしれません。
それでも、妻ちゃんの口から出る「しなきゃ」の言葉を聞いていると、
日々の中で背負っているものが、少し見える気がすることがあります。
片づけんなん。
返さんなん。
準備せんなん。
ひとつひとつは小さなことです。
でも、その小さな「しなきゃ」が重なっていくと、
やる前から心が少し疲れてしまうこともあるのかもしれません。
家事は、実際に手を動かすことだけが大変なのではなくて、
頭の中にずっと置いておくことも、疲れにつながるのだと思います。
ベッドカバーを洗うことそのものは、ただの家事です。
でも、
「洗わんなん」と思い続ける時間は、
もしかすると、家事が始まる前からもう始まっている負担なのかもしれません。
だからといって、
「そんなふうに考えなくていいよ」
と簡単に言えるものでもありません。
丁寧に暮らしたいからこそ、気になる。
ちゃんとしていたいからこそ、忘れずにいようとする。
その気持ちも、きっと大切なものです。
ただ、ときどき言葉を少しだけ変えられたら、
心に乗る重さも少し変わるのかもしれないと思いました。
「洗わなん」ではなくて、
「そろそろ洗おうか」
「やらなきゃ」ではなくて、
「できるときに整えよう」
ほんの少しの違いだけれど、
その言葉の中には、自分を責めない余白がある気がします。
妻ちゃんの「洗わなん」を聞いた朝。
僕は、家事の話をしていたようで、
本当は言葉の重さの話を聞いていたのかもしれません。
何気なく使っている言葉が、
知らないうちに自分を急かしていることがある。
そんなことに、少しだけ気づいた朝でした。

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