妻ちゃんがテレビを見ていました。
AIについての特集をやっていたようです。
AIチャットに質問すると、その処理をするためにコンピューターが動く。
すると熱が出る。
その熱を冷やすために、水が使われる。
妻ちゃんが見た番組では、そんなAIと水の問題について取り上げられていました。
このままAIの利用が増えていけば、水不足につながるかもしれない。
そんな話だったようです。
しばらくして、妻ちゃんが言いました。
「もう、大したことないことを聞くのやめようとおもう」
僕は、一瞬意味が分かりませんでした。
「えっ」
妻ちゃんは少し間を置いて、
「だって……」
と言いました。
AIに質問することで水が使われる。
だったら、自分がどうでもいい質問をしなければ、その分だけでも水を使わなくて済む。
たぶん妻ちゃんの中では、そんなふうにつながったのだと思います。
僕は言いました。
「そこまで気にせんでいいやろ。これからいろいろ対策も取られていくと思うよ」
妻ちゃんも、
「そうなんだろうし、テレビでもそう言ってたけど」
と言いました。
でも、それで気持ちが切り替わるわけではありませんでした。
そして妻ちゃんは、こんなことを言いました。
「でも、私がそう思うんだから、私みたいに同じことを感じている人はいると思うよ」
僕は、
「そうだと思うけど……」
としか言えませんでした。
さらに妻ちゃんは、
「あなたみたいに、仕事で使っているのはいいと思うけど……」
と言いました。
僕はこのとき、うまく自分の考えを伝えることができませんでした。
僕が気になったのは、AIの話そのものではなかった
もちろん、AIが環境にどんな影響を与えるのかという話は大切だと思います。
水や電力を大量に使うのであれば、どうやって減らしていくのかを考える必要もあるのでしょう。
でも僕がそのとき気になったのは、そこではありませんでした。
妻ちゃんが、
自分ではどうすることもできない大きな問題を、自分のことのように受け取っていたこと
でした。
AIをどう運用するのか。
データセンターをどう冷却するのか。
どれだけの水を使うのか。
企業や国がどんな対策を取るのか。
そのほとんどは、妻ちゃんが直接どうにかできることではありません。
もちろん、
「AIを使う」
「使わない」
という小さな選択はできます。
でも、世界全体で起きている問題そのものを、妻ちゃん一人が背負うことはできません。
僕には、それは妻ちゃんの影響の外にあることのように思えました。
でも、影響の外にあることから影響を受けている
ここで少し、不思議なことに気づきました。
その問題自体は、妻ちゃんの影響の外にあります。
でも、その情報は妻ちゃんの中に入ってきて、
「AIに質問するのを控えよう」
と思わせるほど、妻ちゃん自身に影響を与えています。
つまり、
自分では変えられないことなのに、そのことから自分は強く影響を受けている。
そんな状態です。
これは今回のAIの話だけではないような気がしました。
ニュースでは毎日、いろいろな出来事が流れてきます。
戦争。
災害。
事件。
物価高。
環境問題。
病気。
動物のニュース。
誰かが傷ついた話。
将来への不安。
僕なら、
「大変だな」
と思っても、しばらくすると日常に戻っていくことがあります。
もちろん内容によりますが、
「自分にはどうしようもないことだ」
と、どこかで切り離しているのだと思います。
でも妻ちゃんは、たぶん違います。
テレビの向こう側で起きていることなのに、
その痛みや不安を、自分のすぐ近くにあるもののように受け取ることがあります。
「気にしすぎ」で終わらせたくない
以前の僕だったら、
「そんなことまで気にしてたら疲れるよ」
と言っていたかもしれません。
実際、今回も最初に出てきたのは、
「そこまで気にせんでいいやろ」
という言葉でした。
でも考えてみると、
「気にするな」
と言われて気にしなくなれるなら、妻ちゃんも苦労していないのだと思います。
本人だって、
なんでもかんでも背負いたくて背負っているわけではないのでしょう。
情報が入ってきたときに、
僕よりも深く受け取ってしまう。
遠くで起きていることと、自分との間にある境界線が、僕より少し薄いのかもしれません。
妻ちゃんは以前から、自分のことをHSPだと言っています。
僕はHSPだからすべてこうなる、とは思っていません。
でも妻ちゃんを見ていると、
音や匂いだけではなく、
情報にも敏感さがあるのかもしれない
と思うことがあります。
毎日のストレスは、大きな出来事だけではない
ストレスというと、
仕事が忙しいとか、
人間関係で嫌なことがあったとか、
自分の身に起きた出来事を想像しがちです。
でも妻ちゃんを見ていると、それだけではないのだと思います。
自分とは直接関係のないニュースを見る。
誰かが困っている話を聞く。
世の中の問題を知る。
そして、
「大丈夫かな」
「自分も何か悪いことをしているんじゃないかな」
「どうしたらいいんだろう」
と考える。
ひとつひとつは小さなことかもしれません。
でも毎日それが積み重なったら、かなりの量になるのではないでしょうか。
僕が気にも留めずに通り過ぎている情報を、
妻ちゃんは一つずつ拾っている。
そう考えると、
同じ一日を過ごしていても、受け取っている情報量は全然違うのかもしれません。
妻ちゃんの言葉も、間違っているわけではない
妻ちゃんは、
「私がそう思うんだから、私みたいに同じことを感じている人はいると思うよ」
と言いました。
その言葉は、少し心に残りました。
確かにそうなのだと思います。
僕が、
「そこまで気にしなくていい」
と思う一方で、
妻ちゃんのように、
「自分のちょっとした行動も、何かにつながっているのではないか」
と感じる人もいる。
どちらが正しい、という話ではないのでしょう。
妻ちゃんの感覚は、時々本人を疲れさせます。
でもその感覚があるからこそ、
人の気持ちに気づいたり、
誰かの負担を想像したり、
僕なら見過ごしてしまうようなことに気づけたりもします。
だから、
「そんなこと気にしなくていい」
だけでは、少し違う気がしています。
影響の外にあるものと、どう付き合うか
僕は今でも、
今回のAIの水の問題を妻ちゃんが背負う必要はないと思っています。
それは妻ちゃん一人がどうにかする問題ではありません。
でも、
「それはあなたには関係ない」
と言って終わるのも違う気がします。
妻ちゃんにとっては、
知ってしまった時点で、もう少しだけ「自分のこと」になっているからです。
だったら必要なのは、
気にしないことではなく、
どこまで自分が引き受けるのかを決めること
なのかもしれません。
知ること。
感じること。
心配すること。
それ自体は悪いことではありません。
でも、
世界中で起きているすべてのことに責任を感じる必要はない。
自分にできることがあれば、できる範囲でする。
自分ではどうにもできないところから先は、誰かに任せる。
そんな境界線があってもいいのだと思います。
今回の妻ちゃんとの会話で、
僕はうまくそこまで言葉にできませんでした。
ただ、
妻ちゃんが日々どんなところからストレスを受け取っているのか、
またひとつ分かった気がしました。
僕にはただのテレビの情報でも、
妻ちゃんには、心の中まで入ってくる情報になることがある。
同じテレビを見ていても、
同じ世界を見ているわけではないのかもしれません。

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